企業分析マスター講座【第2回】:「貸借対照表」で企業の「体力」と「倒産リスク」を見抜く(実践:信越化学工業)

こんにちは、あなたの投資学習パートナー、makoです。

前回の第1回では、信越化学工業の「損益計算書(P/L)」を読み解きました。

結果は、「売上は微増なのに、営業利益は17.7%も減少」 1。犯人は主力の塩化ビニル事業の市況悪化でしたね 2。

これは、例えるなら「友人の年収が、景気のせいで下がってしまった」という状態です。

ここで、あなたならどう思いますか?

「年収が下がったなんて、彼はもう終わりだ!」と考えるでしょうか。

それとも、「いや、待てよ。彼は年収が下がる前から、すでに10億円の貯金を持っている大金持ちじゃなかったか?」と考えるでしょうか。

実は、多くの投資家がこの「年収(P/L)」だけを見て慌ててしまい、「貯金額(B/S)」の確認を怠ることで、とんでもない優良企業を手放してしまうという機会損失をしています。

この記事を読み終える頃には、あなたは「貸借対照表(B/S)」という企業の「財産目録」を読み解き、その会社が「一時的な赤字」などものともしない「金剛石のような体力」を持っているのか、それとも「見かけ倒しの砂上の楼閣」なのかを、プロと同じ視点で見抜けるようになっているでしょう。

投資の基本:「貸借対照表(B/S)」とは何か?

貸借対照表(B/S = Balance Sheet)とは、**「ある特定の日(決算日)に、その会社がどれだけの財産を持っているか」**を示す、スナップ写真のようなものです。

  • P/L(損益計算書) が「1年間の稼ぎ」を示す動画なら、
  • B/S(貸借対照表) は「決算日時点の財産」を示す写真です。

B/Sは、大きく3つの箱でできています。

これも「家計」に例えると、一瞬で理解できます。

  1. 資産(左側):あなたが持っている全財産 。
    • 現金、預金、株、家、車など。
    • (企業の場合:現金、売掛金、棚卸資産、土地、工場など)
  2. 負債(右側・上):あなたが返すべき借金 。
    • 住宅ローン、車のローン、カードの未払い金など。
    • (企業の場合:銀行からの借入金、買掛金など)
  3. 純資産(右側・下):本当にあなたのもの(自己資本) 。
    • (全財産)-(借金)=(本当のあなたの財産)
    • (企業の場合:株主が出したお金、過去に稼いだ利益の蓄積など)

そして、必ず**「資産 = 負債 + 純資産」**となります。これが「バランス」シートと呼ばれる理由です。

投資家が絶対に見るべき「最強の安全指標」

では、このB/Sから「倒産リスク」をどう見抜くのか。

伝説的な投資家ウォーレン・バフェット氏は、借金(負債)が少なく、自前の資金(純資産)が豊富な「財務の要塞」のような企業をこよなく愛します。

その「要塞度」を測る最強の指標が、**「自己資本比率」**です。

  • 自己資本比率(%) = 純資産 ÷ 総資産 × 100

これは、「全財産のうち、何%が本当に自分のものか?」を示す比率です。

家の例で言えば、「5,000万円の家(総資産)を、頭金2,500万円(純資産)で買った」なら、自己資本比率は50%です。

この比率が高いほど、借金が少ない「安全な会社」と言えます。

  • 50%以上:超優良
  • 40%台:優良
  • 20%未満:危険水域(倒産リスクを意識し始める)

プロの投資家は、P/Lで「利益が出た!」と喜ぶ前に、必ずB/Sでこの自己資本比率を確認し、「そもそも、この会社は安全か?」という土台をチェックするのです。

実践分析:信越化学工業の「財務体力」を解剖する

それでは、いよいよ信越化学工業の「財産目録(B/S)」を見ていきましょう。

第1回で、P/Lは「減益」という嵐に見舞われていることがわかりました。

はたして、信越化学は、この嵐に耐えられる「頑丈な船」なのでしょうか?

まずは、主要な数字を表にしてみましょう。

信越化学工業 連結財政状態(B/Sの要約)

項目2026年3月期 中間期 (A) (2025/9/30)2025年3月期末 (B) (2025/3/31)増減
総資産 (Assets)5兆3,567億円 65兆6,366億円 7△2,799億円
負債合計 (Liabilities)9,752億円 887,990億円 99+1,762億円
純資産 (Net Assets)4兆3,814億円 104兆8,375億円 11△4,561億円
自己資本比率78.7% 1282.6% 13△3.9 pt

(出典:信越化学工業株式会社 2026年3月期 第2四半期(中間期)決算短信)

この表を見た瞬間、私は思わず息を呑みました。

この数字が語る物語は、あまりにも強烈です。

1. 驚異の「78.7%」― これは”要塞”である

まず見てください、この**自己資本比率78.7%**という数字を 。

先ほど、50%以上で「超優良」と言いました。78.7%というのは、もはや「安全」を通り越して「鉄壁の要塞」です。

これは、「5兆3千億円の全財産のうち、借金はたったの1兆円弱。残りの4兆3千億円以上が、すべて自前のお金(純資産)ですよ」という意味です。

第1回で見た「塩化ビニル事業の不振」による一時的な減益など、この「要塞」の前では、そよ風にすらならないほどの圧倒的な体力です。

2. 減益の嵐の中で、なぜ「純資産」が4,561億円も減ったのか?

しかし、プロはここで満足しません。

「なぜ、鉄壁の要塞の自己資本比率が、82.6%から78.7%へと3.9ポイントも悪化しているんだ?」

「純資産が半年で4,500億円以上も減っているじゃないか! 」

P/L(損益計算書)では、半年間で2,578億円の利益(中間純利益)を稼いでいるはずです 16。利益が出たなら、純資産は「増える」はず。

それなのに、なぜ純資産は「減って」いるのでしょうか?

これが、B/Sが語る「数字の裏の物語」です。

3. B/Sの「内訳」が語る、王者の戦略

この謎を解くため、B/Sの内訳(P.12)を詳しく見てみましょう 。

【謎①】負債はなぜ増えた?

負債の内訳を見ると、「長期借入金」が前期末の74億円から、今中間期には2,362億円へと、約2,288億円も急増しています 。

【謎②】純資産はなぜ減った?

純資産の内訳を見ると、「自己株式」が前期末の1,210億円から、今中間期には5,192億円へと、約3,982億円も(マイナス方向に)増加しています 。

さらに、「為替換算調整勘定」も約1,913億円減少しています 。

【物語の核心】

点と点がつながりました。

この半年間で、信越化学は以下の「2つの巨大なイベント」を同時に経験したのです。

  1. 超大型「自社株買い」の実行:会社が「自己株式」を買うと、それは純資産のマイナス項目となります。この半年で、信越化学はなんと**約4,000億円(399,999百万円)**もの巨額な自社株買いを(5月に)実行しています 。これが純資産が減った最大の理由です。
  2. 急激な「円高」の影響:信越化学は、アメリカ(シンテック社)など海外に莫大な資産を持っています。前期末(2025年3月末)に比べて円高が進んだ(決算短信P.17参照 )ため、海外の資産を日本円に換算し直した(為替換算)ところ、資産の価値が目減りしてしまいました(約1,900億円) 。

4. 結論:「王者の戦略」

これで、すべての物語が明らかになりました。

信越化学の自己資本比率が82.6%から78.7%に低下した のは、業績悪化で経営が傾いたからでは断じてありません。

それは、「①業績が一時的に落ち込んでいる今こそ、株価が割安だと判断し、株主還元のアクセルを踏み込む(4,000億円の自社株買い)」 「②その資金の一部として、低金利のうちに借入も行った」 「③ついでに円高の逆風も吹いた」 という、鉄壁の財務体力を持つ「王者」だからこそ取れる、超攻撃的な財務戦略の結果なのです。

P/L(稼ぎ)だけを見て「減益だ、危ない」と慌てた投資家は、この「王者の買い」という絶好のシグナルを見逃してしまったことになります。

まとめと次へのステップ

本日の冒険のまとめです。

  1. 貸借対照表(B/S)は、企業の「財産」と「借金」を示す「体力のスナップ写真」である。
  2. 最強の安全指標は「自己資本比率」。50%以上で超優良。信越化学は78.7%という「鉄壁の要塞」だった。
  3. 信越化学の自己資本比率の低下は「業績悪化」ではなく、「超大型自社株買い」という積極的な株主還元戦略の結果だった。

いかがでしたか? P/L(稼ぎ)とB/S(体力)を組み合わせて初めて、企業の本当の姿が見えてきましたね。

それでは、今日あなたに挑戦してほしい「ベビーステップ」です。

今日の課題は、たった一つ。第1回で調べたあなたの気になる企業のIRページで、**「自己資本比率」**という数字を一つだけ見つけてみてください。

その数字は、40%を超えていますか? あなたが応援したい会社は、「要塞」と呼べる体力を持っていますか?


【投資判断:10段階評価】(10/26 B/S分析を反映し更新)

【 8 】(長期的視点での「買い」)

理由:

第1回では、「減益」というP/Lの弱さを見て評価を「7」としていました。しかし、今回のB/S分析で、その評価を「8」に引き上げます。

理由は、「減益」という短期的な弱さを補って余りある、**「78.7%」という圧倒的な財務体力(B/S)**が確認できたからです。

さらに、その体力を背景に「4,000億円の自社株買い」という強力な株主還元を実行した事実は、経営陣の自信の表れであり、株価の下支え要因として非常に強力です。

第1回で懸念した「塩化ビニル事業の不振」は続いていますが、この「財務の要塞」があれば、市況が回復するまで何年でも耐えられます。P/Lの逆風をB/Sの体力でねじ伏せている、典型的な優良企業の姿です。長期投資の対象として、非常に魅力的だと判断します。


【次回予告】

さて、私たちは「稼ぎ(P/L)」が減っていること、「体力(B/S)」が鉄壁であることを知りました。

しかし、まだ決定的に欠けているピースがあります。

それは、**「結局、この半年で、会社の金庫にはいくら現金が流れ込んできたのか?」**という情報です。

会計上の利益(P/L)はあっても、現金(キャッシュ)がなければ倒産します(黒字倒産)。

次回、第3回:【キャッシュ・フロー計算書】企業の「リアルな現金の動き」を追う で、企業の「血液」とも言える、生々しい現金の流れを徹底的に追跡します。お楽しみに。

免責事項

本記事は、企業分析に関する情報提供を目的としており、特定の金融商品の売買を推奨するものではありません。株式投資は、元本を割り込むリスクを伴います。投資に関する最終的な決定は、ご自身の判断と責任において行われますようお願い申し上げます。本記事の情報に基づいて生じたいかなる損害についても、筆者および関係者は一切の責任を負いません。

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