企業分析マスター講座【第4回】:「フリー・キャッシュ・フロー(FCF)」で企業の「本当の自由」を知る(実践:信越化学工業)

こんにちは、あなたの投資学習パートナー、makoです。

これまでの冒険で、私たちは信越化学工業の財務三表をすべて読み解きました。

  • 第1回(P/L):主力の塩化ビニル事業の市況悪化で、営業利益が17.7%も減少
  • 第2回(B/S):自己資本比率78.7%という「鉄壁の要塞」であり、その体力を背景に4,000億円もの超大型「自社株買い」を決議・実行 。
  • 第3回(C/S):P/L不調でも、本業の現金力(営業CF)は**+3,470億円**と絶好調 。

ここで、第2回と第3回の分析で、私たちは最大の「矛盾」に直面しました。

それは、**「なぜ、信越化学はP/L(利益)が落ち込み、株価が下落している局面で、あえて4,000億円もの巨額な自社株買いを実行したのか?」**という謎です。

「自社株買いは株価を上げるためにやるものなのに、株価が下がっている。これは経営の失敗であり、矛盾ではないか?」

「それとも…、これは何か別の、もっと合理的な理由があるのか?」

この疑問こそ、投資家が「初心者」から「中級者」へとステップアップするための、最も重要な「扉」です。

この記事を読み終える頃には、あなたは「フリー・キャッシュ・フロー(FCF)」という、投資家が最も愛する指標を計算できるようになります。そして、そのFCFを使いこなし、信越化学の経営陣が取った行動が「矛盾」などではなく、**「株主価値を最大化する、最も合理的で優れた戦略」**であったことを、プロと同じ視点で見抜けるようになっているでしょう。

投資の基本:「フリー・キャッシュ・フロー(FCF)」とは何か?

フリー・キャッシュ・フロー(FCF)とは、その名の通り、**「企業が稼いだ現金のうち、事業を維持・成長させるために必要な投資を支払った後で、なお残った『本当に自由に使える現金』」**のことです。

なぜ、これが投資家にとって「最強の指標」と呼ばれるのでしょうか?

理由は、このFCFこそが、企業が「価値」を生み出すための万能の源泉だからです。

  • 株主への配当金の支払い
  • 自社株買い(株価を押し上げる要因)
  • 借金の返済
  • 新規事業へのM&A(買収)投資
  • 現金のまま貯め込む(将来の不況への備え)

これら全てのアクションは、この「FCF」からしか生み出せないのです。

かのウォーレン・バフェット氏が企業の価値を測る際に使うのも、このFCFです。FCFを生み出せない企業は、どれだけP/L(利益)が立派に見えても、価値を生み出す力がない(=投資対象にならない)と判断されます。

FCFの計算方法(プロはこう見る)

では、どうやってFCFを計算するのでしょうか。

第3回で、キャッシュ・フロー計算書(C/S)は3つのパート(営業CF、投資CF、財務CF)に分かれていると学びました。

  • 営業CF(+):本業で稼いだ現金
  • 投資CF(-):未来への投資で使った現金

投資家が使う厳密なFCFの計算式は、こうです。

私たちが知りたいのは、「本業のパン屋を続けるために必要な『新しいオーブン』の購入費用」だけです。

C/Sの項目で言うと、これは**「有形固定資産の取得による支出」**にあたります。

よって、私たちが使う実践的な計算式はこれです。

FCF = 営業CF - 有形固定資産の取得による支出

この引き算の結果が「プラス」なら、その企業は「自由に使える現金」を生み出しており、「マイナス」なら、本業の維持費すら稼いだ現金で賄えていない「赤字体質」ということになります。

実践分析:信越化学工業の「真の現金力」を測定する

それでは、いよいよ信越化学工業の「本当に自由に使える現金」を計算してみましょう。

第3回で見たC/Sの「通帳」(P.15)を、もう一度広げます。

信越化学工業 連結キャッシュ・フロー計算書(2025年4月1日~9月30日)

項目金額(2026年3月期 中間期)
営業活動によるCF (A)+ 3,470億66百万円
投資活動によるCF△ 3,007億 1百万円
(↑の内訳)有価証券の取得△ 63億55百万円
(↑の内訳)有形固定資産の取得による支出 (B)△ 2,139億20百万円

(出典:信越化学工業株式会社 2026年3月期 第2四半期(中間期)決算短信)

さあ、計算してみましょう。

FCF = (A) 営業CF - (B) 設備投資

FCF = 3,470億66百万円 - 2,139億20百万円

FCF = + 1,331億46百万円

出ました。

信越化学工業が、この半年間(2025年4月~9月)で生み出した「本当に自由に使える現金」は、**「プラス 1,331億円」**でした。


【核心】FCFが解き明かす「4,000億円自社株買い」の真実

この「FCF +1,331億円」という数字が、私たちが抱いた最大の疑問、「減益・株価下落局面での自社株買い」という「矛盾」を解き明かす鍵となります。

1. 企業の「財布」の全貌

まず、この半年間の信越化学の「お金の動き」を整理します。

  • 自由に使える現金(FCF)+1,331億円
  • 株主への還元合計
    • 配当金の支払い: 1,038億円
    • 自社株買い: 4,000億円 9
    • 合計: 5,038億円

おかしいですね。

生み出した自由なお金(1,331億円)に対して、株主への還元(5,038億円)が3,700億円以上も上回っています。

これは、自分の給料(FCF)だけでは足りず、貯金(B/Sの現金)を切り崩したり、借金(財務CF)をしてまで、株主に還元したことを意味します。

2. 謎の解明:「矛盾」ではなく「合理」

なぜ、経営陣はこんな「無理」をしたのでしょうか?

ここで、私たちが対話でたどり着いた「限定スニーカーの例え」を思い出してください。

あなたが将来必ず価値が上がると信じている「限定スニーカー」を4,000万円の予算で買い集めるとします。

  • 価格が1足100万円の時:40足しか買えません。
  • 価格が1足50万円に「下落」した時:同じ予算で80足も買えます。

あなたにとって、「お宝」を買い集める絶好の機会は、価格が「下落」した時ですよね。

これを信越化学に当てはめます。

  • 限定スニーカー信越化学の株式
  • コレクター信越化学の経営陣
  • 予算4,000億円

経営陣は、自社株買いを「短期的な株価のカンフル剤」とは見ていません。彼らは、それを**「1株あたりの価値を高めるための『投資』」**として見ています。

自社株買いをすれば、市場に出回る株の総数が減り、1株あたりの利益(EPS)は自動的に上がります。

彼らにとって、自社株買いは「株価を上げるためのコスト」ではなく、「お宝(自社株)を買い集める投資」なのです。

3. 優れた経営陣の「思考(ストーリー)」

FCFの計算結果と、この「投資家」としての視点を組み合わせると、経営陣の合理的な「思考(ストーリー)」が完璧に見えてきます。

  1. 【現状認識】「P/L(利益)は、塩化ビニルの市況悪化で一時的に落ち込んでいる(第1回分析)」
  2. 【市場の反応】「市場は、その『一時的な減益』だけを見て悲観し、我が社の株を安く売っている(=株価が下がっている)」
  3. 【本質の把握】「しかし、我々の本質的な実力はそんなものではない。B/S(体力)は鉄壁であり(第2回分析)、C/S(現金力)も強く、FCFも**+1,331億円**と黒字だ(第4回分析)」
  4. 【合理的な判断】「ならば、市場が『50万円(割安)』で売ってくれているこの限定スニーカー(自社株)こそが、今、地球上で最もお買い得な『投資先』ではないか!」
  5. 【経営の決断】「今こそ、この絶好の『バーゲンセール』を逃してはならない。稼いだFCF(1,331億円)だけでなく、鉄壁のB/Sの信用力を使って借金(2,300億円)も活用し、予算(4,000億円) をフルに使って、一株でも多くのお宝(自社株)を買い集める!」

4. それは「インサイダー取引」ではないのか?

「株価が下がるとわかっていて買う」というのは、一見すると不公平(インサイダー取引)に聞こえるかもしれません。

しかし、これは全く問題ありません。

  • インサイダー取引(違法):「まだ公表していない、株価が下がるような悪いニュース(例:巨額の赤字確定)」を知っていて、その情報が公になる「前」に取引すること。
  • 今回の行動(合法・合理的):経営陣は、私たちと同じ**「公開情報」(①P/Lの減益 14、②株価の下落、③B/SとC/Sの強さ)を見ています。その上で、「(市場は悲観的すぎるが)我々経営陣は、自社の未来に自信がある。だから今の株価は安すぎる」という「経営判断」**を下しただけです。

これは、市場の公平性を何ら害するものではなく、むしろ株主から預かった資本を最も効率的に使う「資本配分(キャピタル・アロケーション)」の鑑(かがみ)です。

ご指摘の通り、これは**「かなり優れた経営陣」**であることの、何よりの証拠だと私も分析します。

まとめと次へのステップ

本日の冒険のまとめです。

  1. フリー・キャッシュ・フロー(FCF)は「営業CF – 設備投資」で計算する「本当に自由に使える現金」である。
  2. FCFこそが株主還元(配当・自社株買い)の真の原資であり、投資家が最も重視する指標である。
  3. 信越化学はP/L不調でもFCFは+1,331億円と黒字。そして、その減益・株価下落局面こそ「絶好のバーゲンセール」と判断し、FCFを超える超大型還元を敢行した。これは経営陣の「自信」と「合理性」の表れである。

これで財務三表の基本分析は完了です。お疲れ様でした!

それでは、今日あなたに挑戦してほしい「ベビーステップ」です。

今日の課題は、たった一つ。あなたの気になる企業のC/Sを見て、**「営業活動によるキャッシュ・フロー」と「有形固定資産の取得による支出」**の2つの数字だけ抜き出してみましょう。

そして、引き算をしてみてください。その結果は「プラス」になりましたか?


【投資判断:10段階評価】(10/28 FCF・経営陣評価を反映し更新)

【 9 】(長期的視点での「強気買い」)

理由:

第3回から評価は据え置きの「9」です。今回のFCF分析は、その「9」という評価が間違っていなかったことを裏付ける「決定的な証拠」となりました。

「P/L減益」という不安材料はありましたが、

  1. FCFがしっかり「+1,331億円」と黒字であること
  2. そのFCFを原資の一部とし、鉄壁のB/Sを盾に「FCFを超える超大型還元」を敢行していることが確認できました。

P/L(利益)が不調で株価が割安になっている時にこそ、B/S(体力)とC/S(現金力)をフル活用して「自社株」という最高の投資を行う——。

この経営陣の合理性と株主価値へのコミットメントは、長期投資家にとってこれ以上ない「信頼の証」です。投資対象として、引き続き非常に魅力的だと判断します。


【次回予告】

さて、私たちは信越化学が「安全(B/S)」で「現金力(C/S)」も強く、経営陣も「賢い」ことを知りました。

しかし、これだけでは「稼ぐ効率」が本当に良いのかは分かりません。

例えば、10兆円の資産(B/S)を使って、たった100億円の利益(P/L)しか生めない会社は、「効率が悪い」と思いませんか?

次回、第2部の応用編に入ります。

第5回:【収益性分析】ROEとROAを使いこなし、「稼ぐ力」の本当の効率性を見抜く で、B/SとP/Lを組み合わせて「資産をどれだけ上手に使って利益を生み出したか」という「効率性(収益性)」を徹底解剖します。お楽しみに。

免責事項

本記事は、企業分析に関する情報提供を目的としており、特定の金融商品の売買を推奨するものではありません。株式投資は、元本を割り込むリスクを伴います。投資に関する最終的な決定は、ご自身の判断と責任において行われますようお願い申し上げます

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