
はじめに:なぜ現役世代の生活実感は厳しいのか?
「給料は横ばいなのに、社会保険料や税金の負担感は年々増している」 「共働きで懸命に働いているが、親世代が専業主婦世帯で家を建てていた頃のような経済的余裕を感じられない」
現在、20代から40代の現役世代が抱えているこの閉塞感。 これは単なる景気変動や、個人の努力不足によるものなのでしょうか?
実は、ここには日本の社会保障制度が抱える**「構造的な課題」と、人口動態の変化に起因する「世代間の不均衡」**が大きく関与しています。
今回は、内閣府や経済学者によって研究されている**「世代会計(Generational Accounting)」**のデータを基に、生まれた年によって生じる受益と負担の格差について、客観的な数値を交えて解説します。
感情論ではなく、制度設計の観点から現状を正しく認識すること。それが、これからのライフプランを考える第一歩となります。
1. 経済環境と「ルール」の変遷
まず、現在の高齢者(65歳以上)が現役世代であった約40年前と、現在の現役世代が置かれている経済・社会環境を比較します。 両者の間には、社会保障や税制のフレームワークにおいて大きな違いが存在します。
【約40年前(1985年頃)の環境】
- 消費税:未導入(0%)
- 消費税法が施行されたのは1989年であり、それ以前は物品税などが中心でした。
- 社会保険料負担:比較的低水準
- 人口構造が若く、高齢化率が低かったため、低い保険料率で制度運営が可能でした。
- 金利水準:高金利
- 定期預金金利が5%を超えることも珍しくなく、預貯金による資産形成が容易な時代でした。
【現在(2025年)の環境】
- 消費税:10%
- 社会保障費の財源確保等を目的として、段階的に引き上げられました。
- 社会保険料負担:増加傾向
- 厚生年金保険料率の上昇に加え、2000年からは介護保険制度も開始されました。給与に対する社会保険料の負担比率は、過去と比較して高まっています。
- 金利水準:低金利
- 長らく続いた超低金利政策により、預貯金による利息収入は限定的です。
このように、世代によって「資産形成の難易度」や「可処分所得に対する公的負担の割合」といった前提条件が大きく異なっているのが現実です。
2. 「世代会計」が示す数値的根拠
では、この環境の違いは生涯を通じた収支にどのような影響を与えるのでしょうか。 ここで参照するのが、学習院大学の鈴木亘教授や中部大学の島澤諭教授、および内閣府の研究会などで用いられる**「世代会計」**という手法です。
これは、「生涯で国や自治体に支払う負担額(税・社会保険料)」と、「生涯で受け取る受益額(年金・医療・介護・教育等)」を現在価値に換算して比較したものです。
多くの研究結果が示唆する傾向は以下の通りです。
世代間の受益・負担構造
- 現在の高齢者世代(75歳以上など): 生涯での「受け取り額(受益)」が「支払い額(負担)」を上回る傾向にあります。 試算によっては、**約4,000万円の受益超過(プラス)**となるとされています。
- 現在の若年層・現役世代(40歳以下など): 生涯での「支払い額(負担)」が「受け取り額(受益)」を上回る傾向にあります。 試算によっては、**約1,000万〜2,000万円の負担超過(マイナス)**となるとされています。
両者の間には、生涯収支において数千万円規模の差が生じている可能性があります。 なぜ、このような差異が生まれるのでしょうか。具体的な内訳を検証します。
3. 先行世代(現在の高齢者)の収支構造
先行世代が大幅な「受益超過」となっている背景には、日本の社会保障制度が導入・拡充された時期と、高度経済成長期が重なっていたという歴史的要因があります。
【負担(支出)の側面】
- 現役時代の負担率
- 1980年時点での厚生年金保険料率は10.6%(労使折半)であり、本人負担分は約5.3%でした。
- 現在の負担率と比較すると低い水準で加入期間を過ごしています。
- 生涯負担総額(推計)
- 税・社会保険料の合計を現在価値に換算しても、相対的に低い負担で済んでいました。
【受益(収入)の側面】
- 年金給付
- 制度設計時の想定利回りや給与水準が高かったこともあり、納付した保険料に対して高いリターン(給付)を受けています。
- 標準的な会社員と専業主婦の世帯では、長期にわたり安定した年金受給が可能です。
- 医療・介護給付
- 高齢者の医療費窓口負担は、制度変遷を経てもなお、現役世代(3割)と比較して低く設定されています(原則1割、一定所得以上は2〜3割)。
結果として、「成長期に設計された手厚い給付」を「相対的に低い負担」で受け取ることができた世代であると言えます。
4. 現役世代(現在の若年層)の収支構造
一方、これからの社会を支える現役世代の収支構造は、少子高齢化の影響を強く受けています。
【負担(支出)の側面】
推計:生涯で約1億円超(税・社会保険料の総額)
- 社会保険料の増加
- 現在の厚生年金保険料率は18.3%(固定)であり、これに健康保険料、介護保険料が加わります。労使合わせた社会保険料負担は給与の約30%程度に達します。
- 租税負担と過去の債務
- 社会保険料だけでなく、所得税、住民税、消費税を生涯支払います。
- これらには、現在の公共サービス費だけでなく、過去に発行された国債(国の借金)の利払いや償還費用も含まれます。
【受益(収入)の側面】
推計:生涯で約8,500万円前後(年金・医療等の総額)
- 年金給付(約5,000万円と仮定)
- 「マクロ経済スライド」の適用により、将来の年金給付水準(所得代替率)は調整される見込みです。
- 受給開始年齢の引き上げなども議論されており、実質的な受給総額は抑制される傾向にあります。
- 医療・介護給付(約3,500万円と仮定)
- 現役世代も将来的に高齢者医療や介護サービスを受けます。
- しかし、医療技術の高度化でコストが増大する一方、現役世代の減少により、窓口負担の割合増やサービスの提供体制自体が厳しくなる懸念があります。
【収支結果の分析】
数値を整理すると、**「支払い(約1億500万円)」に対して「受け取り(約8,500万円)」となり、差引で約2,000万円の負担超過(マイナス)**という構造が見えてきます。
これは誰かが悪意を持って行ったことではなく、**「賦課方式(現役世代が高齢世代を支える仕組み)」**を採用している以上、人口ピラミッドが逆転すれば数学的に避けられない現象です。
5. インフラ資産と「繰り延べられた負担」
金銭的な収支に加え、社会資本(インフラ)の観点からも世代間の関係を見る必要があります。
日本の多くのインフラ(道路、橋梁、公共施設)は、高度経済成長期に建設国債などを財源として整備されました。建設国債は「60年償還ルール」に基づき、長期にわたって返済が行われます。
- 建設時: 先行世代は、新しいインフラを利用し経済発展を享受しました。
- 現在・未来: インフラは老朽化し、更新(建て替え)や修繕の時期を迎えています。
現在の現役世代は、**「過去の建設費の返済(国債償還)」と、「老朽化したインフラの修繕・更新費」**の双方を負担するフェーズにあります。これを会計的に見れば、過去の便益に対する費用が、次世代に繰り延べられている側面があると言えます。
6. 人口動態の変化:胴上げ型から肩車型へ
この世代間格差の根本原因は、極端な少子高齢化です。 「高齢者1人を、現役世代何人で支えるか」という比率は、劇的に変化しています。
- 1980年(胴上げ型): 現役世代 約7.4人 で1人の高齢者を支援。
- 2010年(騎馬戦型): 現役世代 約2.8人 で1人の高齢者を支援。
- 2070年推計(肩車型): 現役世代 約1.3人 で1人の高齢者を支援。
支え手(現役)が減り、支えられる側(高齢者)が増えれば、一人当たりの負担が増加するのは避けられません。これは政策の良し悪し以前に、人口統計学的な帰結です。
7. 民主主義のジレンマ:シルバーデモクラシー
制度改革が進みにくい要因の一つとして、政治学では**「シルバーデモクラシー」**という課題が指摘されています。
少子高齢化が進むと、有権者に占める高齢者の割合が高まります。 政治家は選挙で選ばれる以上、有権者の多数派である高齢者層の意向(年金や医療の維持)を重視せざるを得ません。
結果として、将来世代や現役世代の負担軽減につながる「痛みを伴う改革」は先送りされやすく、世代間の不均衡が固定化されやすい構造にあります。これは特定の政治家の怠慢というよりは、民主主義というシステムが人口減少社会で直面している構造的な課題と言えます。
まとめ:構造を理解し、次なる議論へ
ここまで、世代会計のデータに基づき、世代間に存在する構造的な格差について解説してきました。
重要なのは、**「現役世代の生活が苦しいのは、個人の努力不足だけが原因ではない」**という事実を認識することです。私たちは、人口動態の変化という歴史的な転換点において、過去の制度設計の歪みを調整する困難な役割を担っています。
では、この状況を打開策はあるのでしょうか? 個人の資産防衛も重要ですが、それだけでは社会全体の持続可能性は保てません。
抜本的な解決のためには、社会保障の給付と負担のバランスを根本から見直す議論が必要です。 その一つの論点として、近年タブー視されながらも議論され始めているのが、**「医療提供体制の年齢による制限(トリアージ的な考え方)」や「終末期医療の在り方」**の見直しです。
次回は、非常に繊細なテーマではありますが、**「高齢者医療の適正化」**という視点から、日本の未来に残された選択肢について、思考実験的なシミュレーションを行います。
免責事項
本記事は、内閣府経済社会総合研究所の公表資料や、財政学・経済学の先行研究(世代会計)に基づいた解説ですが、将来の経済状況や制度変更を保証するものではありません。提示された数値は一般的なモデルケースに基づく試算(概算)であり、個人の所得、家族構成、資産状況によって実際の収支は異なります。また、本記事は特定の世代を非難する意図はなく、人口構造の変化に伴う制度的な課題を浮き彫りにすることを目的としています。資産運用やライフプランに関する最終的な決定は、ご自身の判断と責任において行ってください。

