『クロノスのモノクロームゲーム』

「ここは、あなたの真っ白な心に似ている」 いつか、カイトがそう言って静かに笑った。 私たちの世界は、光を放つ白で構成されていた。継ぎ目のない床、空気を圧迫する壁、そして天井。すべてが純白で、影一つ落とさない。 私たちは、名前以外の記憶を奪われ、この『クロノス・ケージ』と呼ばれる場所に集められた被験体だった。

“白”のエリアは安全だ。食事も睡眠も、最小限の生存は保障されている。 だが、この”白”は毒だ。長く留まるほど、思考は希釈され、感情は摩耗していく。目的を失い、ただ座して”白”に染まる者たちを、私たちは何人も見てきた。 『真実をさまよえば』――システムの唯一の警告が、それだった。

生きる意志のある者は、”黒”へ挑むしかなかった。 『真っ黒なところはぶち抜かれ』 周期的に開くゲートの先は、”白”とは対極の混沌だった。重力が逆転し、物理法則がねじ曲がり、過去のトラウマが幻影となって襲いかかる危険なゾーン。 そこで”キー”と呼ばれるデータを取得し、”白”のセーフハウスに戻る。それを繰り返す。

私たちは二人で、何度も”黒”を潜り抜けてきた。 カイトが幻影に囚われれば私がその手を引き、私がシステムの罠に落ちかければカイトが背中を支えた。いつしか、互いがいなければ、この”白”の無気力か、”黒”の狂気か、どちらかに飲み込まれていただろう。

「ミオ、次のステージで最後だ。必ず二人で出る」 カイトの言葉は力強かった。けれど、私は気づいていた。 このゲームは、私たちが絆を深めるほど、より残酷な選択を突きつけてくる。

好きだよ 好きだけど」 声に出せない言葉が、胸の内側で飽和する。 「離れなくちゃ 置いてかなきゃ」 この感情は、この非情なシステムにおいて、致命的なバグだ。

最後のゲートが開く。 だが、システムが告げたルールは、私たちの息を止めた。 『最終ゲートへの転送エネルギーは、一名分のみ承認される』

沈黙が”白”の空間を満たす。カイトが、何かを言おうと唇を開きかけた、その瞬間だった。 私は、彼を突き飛ばすために必要な分の嘘を、かき集めていた。

好きだよ 知らんけど」 乾いた声が出た。カイトが驚愕に目を見開く。 「私、もう疲れた。カイトが先に行ってよ」 「何を……何を言ってるんだ、ミオ!?」 「ずっと、重荷だった。あなたがいるから、私は”黒”に飛び込まなくちゃならなかった。……私たちももう そんな頃よ

嘘だ。全部、嘘だ。 あなたを守るために”黒”に飛び込んだんじゃない。あなたがいなければ、私はとっくに”白”に溶けていた。

先にさよならするわ」 私は、カイトの背中を、開いたゲートとは逆方向の、”白”のセーフティウォールに向かって全力で突き飛ばした。 「ミオ!!」 カイトが叩きつけられる。拘束用のフィールドが彼を壁に固定した。これでいい。

悪いのはそうよいつも私でいいの」 システムに、このゲームに、そして何より、あなたを裏切る私に。すべての悪意を押し付けて、私はゲートに向き直る。 カイトの絶叫が聞こえる。聞かない。もう、振り返らない。

『先に進まなければゴールできぬゲームなのよ』

これが私のゴール。 私が”黒”を引き受ける。私が”悪”になる。それでカイトが”白”(無垢)なまま、あるいは”白”から脱出して未来(ゴール)へ行けるなら、それでいい。

私は、正規の最終ゲートではない、その横に不気味に口を開けた『未知のエラー』と表示された、より深く、より混沌とした”黒”の裂け目に向かって走り出す。

「行くな、ミオ! 戻れ!」 カイトの声が遠くなる。

そうだ。私は、最初からこうなることを知っていた。 カイトの純粋さ。その真っ白な心に惹かれた時から。 私は、彼の真実をさまよえば、この結末以外はあり得ないとわかっていた。

だから、この身一つで担保する。 彼の純粋さを守るため、ゲームの理不尽(バグ)そのものである、この一番真っ黒なところはぶち抜かれなければならない。

私は裂け目に身を投げる。 物理的な肉体が引き裂かれ、再構築される激痛。 だが、不思議と心は凪いでいた。 カイトのいない、しかしカイトを生かすための未来へ。

意識が途切れる直前、システムの声でも、カイトの声でもない、全く別の声が聞こえた。

『ようこそ、”プレイヤー”』

私は、ただ微笑んだ。 ああ、またか。 新しい風にまた抱かれた。 ゲームは、まだ終わらない。

Comments

No comments yet. Why don’t you start the discussion?

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です